ダラス・バイヤーズクラブ



アカデミー賞6部門ノミネート、3部門受賞し、ジャン=マルク・ヴァレがエイズ渦と呼ばれた80年代に生きたウッドルーフの半生を描く。
とにかく受賞した、マシューマコノヒー、ジャレッドレト、メイクのロビン・マシューズが凄い。それだけを観に行くだけでも価値がある。

今作の魅力は、マシューが演じたウッドルーフがクソ人間であるということ。そこに人物像を見出し、結果的に彼がたまらない存在として現れていくという構造にグッとくる。

ディカプリオやブルースダーンに勝ったマシューも、
ジョナヒルに勝ったジャレッドレトも痩せた姿の評価が大きく取りざたされるが、彼らの演技はそれを土壌とし本当に素晴らしく、美しかった。

エイズによってもたらされた余命30日をどう生きたかという話が主題ではなく、立ち向かった先に起こる彼の人生賛歌と心情の変化をメインに据えた脚本の技が光っている。
あの展開の上手さには唸ったし、停滞していた彼の半生は、エイズが蝕んでいくことはむしろ描かれない。

エイズが彼を生かしていく。

それは矛盾の肯定でありますが死期迫る男は、余命宣告が彼の人生の始まりの合図。
とても不思議な構造に胸打たれました。

様々なメタファーも、浮かぶ台詞の数々も余韻の波に拍車をかける。

「国民が選択肢を見つけるのが怖いんだろ!」
とまさに現代に投げかけたかのような叫び。

「今は生きているのに必死で、生きている気がしない。生きている意味がないよ」
という台詞にぼくの興奮はピークに達し、ここから僕は完全に映画の住人でした。

こういった素敵な映画的映像演出に溢れているのです。

終盤のこちらを見つめるピエロ。
あれにどれだけの問いと意味があったかは分からないけれど、
客観視した滑稽さの投影のように感じました。
『楽隊のうさぎ』の語られないうさぎのような。

対立していたウッドルーフとレイヨンはエイズによって共鳴し合い、エイズによって絆を強くし、エイズとともに生きた。
レイヨンの死は、伏線の回収にもなるのだが、僕自身も友人を失ったかのような喪失感に苛まれた。
彼の生きた人生はウッドルーフの道標となり希望の轍となって顕在化する。

冒頭とラストはロデオという不安定な上に成り立つ。

人生はどんなに大きな揺さぶりがあろうとも、必死に振り落とされないように歯を食いしばる。
それはまさにこのロデオであり、握り締める手綱はレイヨンであった。
その視線の変化を自然とやってのける監督の演出に賛辞を贈ります。

もったいなかったのは、
登場する東京の映像。
あの80年代にはそぐわない渋谷スクランブルと新宿東南口の通り。
毎日あの付近を通り働く僕としては違和感でしかない。
シネマカリテで観ていた観客は「そこじゃん!」となっただろうな。

そんな感じ。観て損はないアンサンブルを堪能してください。

2013/ジャン=マルク・ヴァレ/★★★★☆☆